〜第一章 　始まりの歌

　夜の森特有の、真っ暗な闇が広がっている。まるで全てを飲み込むかのような、くらい暗い常しえの闇が。そんな中静かな歌を、虫たちが奏でている。まるでこの闇に、迷い人が囚われぬようかの如く。
　冷たい風が吹く。その風に乗って、僅かに少女の声が聞こえてくる。
「ハクシュッ」
自分を自分で抱きしめるような格好で、少女が一人、大きな木の根元に座り込んでいる。
「寒い……死神さーん、いませんかー……」
　……我ながら馬鹿らしい。来るならさっさと来てくれればいいのに…………って、なに馬鹿なこと考えてるの！！死神が来ちゃったら死んじゃうじゃない。


　 　風が、吹く。冷たく悲しい歌を奏でながら。その歌で、少女は我に戻る。
「あれ……？」
さっきまで煩いくらい奏でられていた歌が、聞こえない。あるのはただ目の前に広がる、常しえの闇。恐怖を抱くほどの、静寂。そして重く圧し掛かってくる、異常な空気。
少女は自分を抱きしめながら、立ち上がり周りを見渡す。
「なに……これ……？」
寒さではなく恐怖で声が震えてるのが判る。思わず一歩下がると、背中が木にぶつかる。そしてその拍子に小枝でも踏んだのだろうか、パキッと、闇に乾いた音が響いた。
「っ！！」
ちょっとした音で、こんなにも心音が煩い。
ちょっとした音で、こんなにも涙が出る。
寒さなんて…判らない。そんなの、もうどうでもいい。
ただ、恐い。
「…………ぁ……」
　ふと視線の先に、僅かに人影が見えたような気がした。恐怖が作り出した幻想か――もし本当にいたとしても、人間かどうかすら定かではない。
それでも、誰かに縋りたい。幼子がが母を求めるように、縋らずにはいられない。
どうしようもない、底知れぬ恐怖に…ココロが壊れてしまいそうで。
　気がついた時には、私はすでにその人影に歩み寄っていた。

　　　　＊

少しでも気を緩めれば、腰が抜けてしまいそうな状態の中――本人からしてみれば走っているのだろうが――数十分かけて、少女は歩いた。

　どうやら、先ほどの影は見間違いではなかったようだ。数十歩ほど離れた場所に、男が一人、少し疲れているのだろうか、木に寄りかかりながら立っている。
男は19〜22歳ぐらいだろうか？その瞳は血の色。そしてその髪は、ここに広がる闇と同じ、漆黒の色。そしてそれに合わせたかのような、闇色の着物を着ている。
　「……貴様、何者だ」
男はこちらに気がつくと、邪険そうに睨みながら言葉を放つ。
　ビクッ！
体が、震える。己に向けられる冷たい声と、視線に怯えて。自分の意志とは関係なく、涙が流れる。
恐い…恐い……恐い……っ！！
……でも、ここで怯えていたって…仕方ないじゃない。今の状態も、さっきの状態も…どちらも大差なんてないっ…！
　少女は目を瞑り、大きく一度深呼吸をする。ゆっくりと開いた瞳には、まだ恐怖が消えてはいない。だが水分で潤んだ瞳から、涙が零れる気配はない。　
進めば……開ける。でも……退いたら閉じてしまう。臆していれば……なにも変わらない……！
今の自分が、持てるだけの勇気を出して。震える声を、体を抑えて。
それがたとえ見かけだけだとしても、抑えきれてなくても、心のあり方次第で、力になる。
だから……自分の持てる全ての勇気を、今…。
　少し震えの残る声で、それでもハッキリと少女は問う。ここは一体『何』なのか。そしてこの不思議な空間にいる貴方は、一体『誰』なのか。
気分を害したのだろうか、男の纏う『闇』が増す。男を直視するのが恐くて、少女はゆっくりと視線を逸らした。そしてそれと同時に、『なにか』に気が付く。
　……あれ……？違和感が、ある。なんだろう……？
今は恐怖よりも、僅かだけど、違和感が勝っている。だから……大丈夫、怖くない。
少し離れた場所にいる男に視線を向ける。
あぁ………違和感はこれだったんだ。それは、彼の抑えている左腕。
腕を抑えている、あの手はなんで赤く濡れてるの？
降ろされている左腕を伝っているものは、なに？
空気中に広がる、鉄の匂いは…なに？
地面を濡らしてるのは…………

それがなんなのか判った時にはすでに男の元に歩み寄っていた。

　歌が、聞こえる。
　世界の奏でる始まりの歌が……